ウディコンという場がある奇跡
20/07/12
2020年7月19日(日)より
第12回WOLF RPGエディターコンテスト(通称:ウディコン)
がはじまる。
この「ウディコン」というものについて、
それを成り立たせている「主催者」「出品者」「審査者」の観点から少し考えてみようと思い、文を書き始めた。
まず、ご存じのない方のために「ウディコン」のことをざっくりと説明する。
「ウディコン」とは、ゲーム制作ツール「WOLF RPGエディター」により制作された未発表作品を対象に、年に一回開催されているコンテストである。
開催期間は参加作品数にもよるが、だいたい募集締め切りから20日前後である。
この20日前後の間に一般のユーザーが対象のゲームをプレイし、審査のような形で評価を投じてゆき、その総計で順位が決まる。
このコンテストには賞金も賞品もない。
コンテスト参加資格はきわめてゆるく、ざっくりいえば
「未発表で」
「二次創作ではないオリジナルで」
「完成している作品」
ということになる。
参加費も必要ない。
作品の評価をする一般のユーザーに関しても、資格もいらないし、審査参加費も不要である。
通例、5作品以上の投票をしていればその評価は有効票となるが、あまりに偏った評価や悪意があると判断された評価は運営によって集計から除外される。
運営は基本的にはWOLF RPGエディター(ウディタ)の制作者であるSmokingWOLF氏が一人で行っているはずである。
これもたぶん無償である(スポンサーがいるという話を私は聞かないのでそう思っている)。
そして、そもそも、ウディタ自体が無料でDLできるツールである。
同じくゲーム制作ツールとして有名なRPGツクールシリーズは、企業が作っているものとはいえ、当然の有料だ。
さて。
ここまで読んで気が付いただろうか。
このコンテストではまったくお金が動かない。
正直、「主催者」であるSmokingWOLF氏の意地と善意で成り立っている、といっても過言ではないと思う。
ウディコン出品者から出品料もなく、ウディタDL数が伸びても本人の懐に入るものもなく、金銭的なメリットがあるとは思えないからだ。
広告的な効果はどうだろう。
ウディコン参加者とそのSNS上のフォロワーたちは、多くがすでにウディタやウディコンを知っている人たちだろうと思う。
私の個人的な印象だと、個人ゲーム制作関連の人たちはやはり似たような人と相互フォロー関係にあることが多く、外に開けている文化という印象はあまり受けない。
だからウディコンがバズる可能性は、実はかなり低いと思っている。
なんらかのインフルエンサーが(例えば有名なゲーム実況者が、しょこたんが、あるいはジャスティンビーバーが)取り上げなどしない限り、もしくは話題になるほどの超名作でも出てこない限り、有効な審査をする人数も例年通り、300~500人台だろう。
そして単体の作品がバズる可能性はあっても、ウディコン全体やウディタがバズる可能性はさらに低く、SmokingWOLF氏自身の作品売上に波及する可能性はもっと低い気がする。
だから、主催のSmokingWOLF氏にとっては、おそらく金銭的なメリットはほとんどない、と私は推測した。むしろ、自分の仕事に使えたはずの時間を使っている以上、マイナスの方が大きいかもしれない。
では、SmokingWOLF氏にとってのウディコンの価値とは…?
それは他人がどうこう言えるものではないだろう。
ひとついえるのは、個人でこのようなイベントを12年間主催するのは、ハンパではないと思う。というか個人でゲームエディターを作り上げるところからしてどういうエネルギーなのだろう。
マジで。
では、「参加者」にとってはどういう場だろう。
前述のとおり、ウディコンで優勝しても賞金などはない。
もちろんウディコンを成長や認知の足掛かりにして有料作品へと展開する人はいるだろうが、ウディコン自体には金銭的報酬はない。
と、すれば意味があるのは別の価値である。
私はこのウディコン、第10回と第11回に参加した。
一言でいえばとても貴重な経験だった。
これについては過去にブログを書いたのでよければ参考にして欲しい。
この経験から、現在ギリギリで参加を迷っている人がいるかもしれないので伝えたい。
ある程度できているなら、なるべく出るべきだ。
いや、歯を食いしばってでも完成させて出るべきだ。
なぜか。
ウディコンでは、よほどヒドイ噂でも立たない限り、開催期間中に一つの参加作品は最低100はDLされるだろう。
最低100人があなたの作品をプレイする!
そんな場がほかであるだろうか?
名も実績もない素人の作った作品が、100DLされるんだぜ。
良い評判が立てば期間中だけで500以上のDLを得ることもあるだろう。
加えてウディコンの素晴らしい点は評価とコメントがたくさんもらえることだ。
仮にフリーゲームサイトで100DLされても、コメントなどもらえるだろうか。
華のある作品でもなければめったにもらえないだろう。
ウディコンの審査員たちはほとんどが己のプライドと真心を持って作品と相対してくれる。
つまらなければつまらないと評価し、面白ければ面白いと評価してくれる。
これは当たり前のようで素晴らしいことだ。
酷評を受けるのが怖いという人もいるかもしれない。
だが、参加を考えている人がほしいのは、何よりもリアルな評価と反応であるはずだ。
「他者にとって私の作ったものに価値があるのか?」それを知りたくて出すはずだ。
どんな作品であれ、それは誰かに届いてこそ意味を成す。
せっかく作ってきたのに、この場とチャンスを逃すのはもったいないことだと思う。
私自身は過去2回参加した限りでは、いただいたコメントとその評価にはなんの不服もない。良いと言ってくれた人のコメントと評価にも、イマイチと言ってくれた人のコメントと評価にも、全くその通りだと思います、と思った。
また、正直順位は気になるところではあるが、振り回されることもないように思う。
私個人で言えば順位が下でも好きな作品は好きだし、上位作品でもあまり興味の出ない作品はいくらでもある。そして投票者が極端に多いコンテストでもない以上、善意や悪意で順位もある程度操作はできてしまう。
(とはいえ順位が上だと今後プレイしてくれる人も多くなるだろうから、やっぱりいい順位が欲しいですけどね)
でも、参加するなら未完成はだめだ。
まったく私が言えたことではないが未完成はいけない。
間に合わないなら、削りに削ってエンディングまで到達できるようにして出せばいい。
そしてウディコンの評価はその段階での作品に対する評価だと考えればよい。
今は追い込みで本当にしんどい時期だと思うけど頑張ってほしい。
次に、「審査者」にとってはどういう価値のある場だろう。
私は出会いの場だと思っている。
イメージとしてはお祭りに近い。
ここは未知の作品と出会える場であり、
同時期に語りあう人と出会える場であり、
自分のプレイした作品たちの順位発表の瞬間を見れる場でもある。
これが面白い。
こればっかりはリアルタイムでなければ面白くない。
ウディコン作品をやるなら絶対にリアルタイムがいい。
人間はその体験を様々な事象とからめて記憶に残す生き物である。
はっきりいってしまえば、ウディコン作品より面白いゲームはフリーゲームの範疇ですらいくらでもあるだろう。
有料作品もふくめれば、その影響度は広大な地球の中の、島ですらなく小型クルーズ程度のものかもしれない。
だが、その小型クルーズでの20日間のできごとは、参加した人たちのとってはかけがえのないものとなることがある。
有名ミュージシャンのドームライブを映像で鑑賞するよりも、同級生の行った学園祭ライブを生で見た方が記憶にも感情にも残ることはあるはずだ。
(※この話を書いていて思い出した。私にとって最高に感動した音楽体験の一つは、大学時代のギターサークルで経験した合宿中のソロの発表会である。これはサークルの面々が練習した曲を一人で弾くのだが、これが場の雰囲気とか、一人一人の音楽の味があって、とてつもなくよい体験であった。はっきりいって、世界的ギタリストのソロライブに行ったときよりも感動した…)
そして、審査者の感想は一日前後で作者に届く仕組みになっている(※運営さんがやばいコメントをはじいてくれるので時差がある)。
好きな作品を作った人に好きがすぐ届く。
それは良いことだが、言葉は刃物であるから気をつけねばならない。
だが、ほめる部分であれ、良くない部分の指摘であれ、
それが真摯な感想であれば作者のエネルギーとなるだろう。
作者にとって一番悲しいのは無反応なのだから。
…というように、ウディコンはこの夏リアルタイムで味わえる素晴らしい催しであると思う。
審査者に回った人はそれを体験できる。
好きな作品と一つでも多く出会いたいものだ。
さて、以上ダラダラ書いてきたように、
ウディコンは「主催者」と「出品者」と「審査者」で成り立っている。
これらは三位一体であり、どれが欠けてもウディコンは成り立たない。
そして開催の是非は、主催者の意志とその時の状況にのみ依存している。
つまり、ウディコンが来年もあるかはおそらく主催者にさえわからないのです。
出品者も審査者もこれを忘れてはいけないと思う。
特に今はコロナで世界全体が先の見えない状態でもある。
収束の気配はなく、倒産せざるを得ない会社が増えていき、一年後の日本はどうなっているのだろう。
どこの国であれ、追い込まれた国家は何をするかわからないし、不安にかられ弱った大衆は極論に走ることがある。
来年の今頃、どこかの国の爆弾が自分の町を吹っ飛ばしている可能性だってあるのだ。あるいは自分の国がそれをしている側についている可能性だって。
だから、これを読んでいる人は、出品者であれ、審査者であれ、これからの一か月余りを、ウディコンという場があることを、大切にしたほうがよいと思っています。
このウディコンが最後であってもおかしくない。
私は、正直出品者として参加したかった。
でも、去年ウディコンに出した作品すら今の時点で完成できておらず、見送りました。
もしウディコンを知らなくてこの記事を読んでウディコンに興味の出た人がいるなら、よさそうな作品をプレイしてぜひ作者にコメントを届けてあげてください。作者はそのコメントを必ず読みますし、お祭りは参加する人が多いほどコンテストは盛り上がります。
よき場はさまざまな人の努力と協力がなければ成り立たないし、
その場が存在する瞬間に立ち会えたことは、やはりミラクルみたいなものなのだから。
そして、もし楽しい時間を過ごせたら、感謝の気持ちを込めて、主催の方のゲームを買ったり、投げ銭をしてはいかがでしょうか。
そのほうが来年もこのクルーズ船が出航してくれる可能性も上がるかもしれませんからね。