命
18/12/23
もう二か月も前のことだが、兄に男の子が生まれた。
この時期の子どもは日々変化していく。聞くところによると、毎日20~30グラムづつ増えていくそうだ。最近は表情も豊かになってきたようだ。
ということで、今の姿は今のうちしかおがめないと思い、赤ん坊を見てきた。
電車で二時間弱の遠出。一人で最寄り駅まで向かう。
向かいの席のおねーちゃんは短いスカートから生足を見せながら、足を組んでいる。
少しふくよかであまりかわいくない女性なのだが、本能的についチラ見してしまう。
あっちはあっちでてめーに見せているんじゃねーよオッサン、とでもおもっていたかもしれない。
足は、いいものです。
そうこうしているうちに義姉さんの実家に到着して、赤ん坊と対面する。
初甥かー。
なんだか奇妙な感覚だった。
まず、兄が親になっているというのが不思議だった。
兄とは、昔セガサターンのストリートファイターZEROでよく対戦した。
気があうわけでもないがケンカするでもなく、年が離れていることもあって適度な距離感でほどよく仲の良い兄弟であったように思う。
兄を思い出すときは、中学生や高校生のころのイメージが強い。
その兄が父親になっている。
これは友達に子どもができたときにも感じることだが、少しさびしいような気持ちがないでもなかった。
赤ん坊はすぴーすぴー寝ている。
兄が子どもを抱かせてくれる。
あたりまえだが小さい。
だが温かい。
ときどき「んん」と寝言をいう。
しばらく抱っこしていると、目を覚ました。
しらないオッサンに抱っこされているので「あれー?」という顔をしている。
泣くかな、と思ったが、泣かない。
何年後か甥に突き付ける用に、抱っこしている証拠写真をとっておく。
せっかくなので、兄が赤ん坊のオムツをかえているシーンも撮る。
命。
不思議なものだ。
今年は自分が年をとったことを実感する年だった。
反射が衰え、世界からあまり必要とされなくなってきているという雰囲気がリアリティを帯びてきていた。
私は自分の中からエネルギーがわいてきているときの自分が好きだ。
だが、そうでない時間が増えてきているようななんとも言えない感覚も最近はある。
同時に、昔の自分ではできなかったことが徐々にできるようになっていっているという成長の感覚もある。
この赤ん坊は、これからどのような世界を生きてゆくのだろう。
お義姉さんのご両親、兄と私の親、兄夫婦、叔父にあたる自分、そして生まれて二か月の甥。
暮れゆく命と、新しい命がそこにあった。
私は命の役目というか本能は、なにかをパスすることだと思っている。
それは、遺伝子であったり、財産や仕事や知識や制作物であったり、愛情や感謝や憎しみであったりするが、ともあれ、なんらかのパスをして人は生きてゆく。
人生で出会うものにリツイートやいいねをしながら時は過ぎてゆく。
そしていつか死ぬ。
私にはこの世界はわからないことだらけだが、もうすこしわかるようになりたいという欲求がある。
なぜそんなことを思うのかもよくわからないけれど。