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ウディコン初参加の感想(3)

~ウディコンに参加して気がついたこと​~

18/09/02

ウディコンに初参加して気がついた大切なことは四つある。

①こんなに率直なコメントがもらえるありがたいイベントはほかにない

②ウディコンの総合順位は、大切な指標にはなるが、そこまで気にしなくてもいい

③ウディコンの最大の意義は「完成させる理由ができること」

④ウディコンのゲームは投票期間中になるべくプレイしたほうがよい

 

と私は感じた。

以下でそれぞれの理由を述べていきたい。

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①こんなに率直なコメントがもらえるありがたいイベントはほかにない

これは、フリーゲームを作る人にとってはもっともありがたいことである。

通常、フリーゲームはなんらかのサイトに投稿しただけでは、そこまでの反響はもらえないとされる。

事実、わたしはフリーゲームサイトの大手「ふりーむ」に作品をアップして数日がたち、60回以上ダウンロードされてはいるが、レビューはゼロである(悲しい)。

 

第10回ウディコンの場合、期間中の私の作品のDL数は200強だったが、コメントは40件近く来ていた。某掲示板などで言及されていることもほんの少しではあるが、あった。

 

反応がもらえることは本当にうれしいものである。それだけでもウディコンに参加する意義は大きい。

 


 

②ウディコンの総合順位は、大切な指標にはなるが、そこまで気にしなくてもいい

 

これを21位の自分がいうのは非常に微妙というかかっこ悪いことなのだが、

来年以降参加する人たちのためにも一応いっておこうと思う。

 

これはウディコンが悪いわけではない。

こういったWeb上の匿名投票によるコンテストに厳密な公平性を求めるのは、ほとんど不可能なのだ。

そもそも、コンテストにおける公平さとはなんだろうか。

それは、理論的には、

「審査者全員が」「すべてのゲームを」「同じ時間プレイすること」だろう。

これならば、審査者のゲームに注いだリソースは同じになるため、非常にバランスのとれた、公平性の高い結果が得られるだろう。

だが、そんなのほとんど不可能である。

なぜなら、ウディコンの審査をするのは、

「ゲームやウディタやウディコンが好きか、好きな作者がいるからプレイする有志のひとたち」

である。

みなさん、仕事や学校や生活やほかの趣味の合間を縫って、少しでも時間を作ってプレイしている。

そのため、審査者の審査に臨む姿勢もさまざまである。

今回ウディコンに参加して驚いたのだが、ウディコンには、全作品をプレイする人が何人もいる!すごい。 

今回なんて、58作品もあるのだ。

中にはクリアまで10時間くらいかかりそうなゲームだってある。

そのようなひとたちは、かなりの気合いと作者への敬意、評価をつけることへのプライドを持って審査をしてくれているように感じた。

だが、そんな人は一部である。目的の作品への評価をして、あとは適当に点をつけている人だっていなくはないだろう。それに、お気にの作者や作品ができてしまうと、どうしても評価には相対的に差をつけたくなる。

また、作品によってプレイした人の数は大きく違ってくる。

たとえば、私の作品「花まるプリンセス」は審査期間中のDL数は200程度。これはおそらくかなり少ない部類である。Twitterなどの情報を見る限り、1000、2000を超えている作者さんもいるようだった。

そして、ウディコンには「合計点」という評価項目があり、これは有効投票数の多い作品ほど有利になる。プレイヤーの少ない作品はもし平均点が高くても、合計点が低くなってしまう。

そしてもう1つ、不正に弱いという問題がある。

第10回ウディコンの有効投票者数は452名。1つの作品に対しての投票者はだいたい50〜200の範囲だろう。

つまり、言い方は悪いが、ウディコンは数十人の組織票さえうまく用意できれば、かんたんに上位に入れる規模なのである。いつ壊れてもおかしくないギリギリのバランスの上に成り立っている。

これは、主催のSmokingWOLF氏も非常に苦心されている点だろう。そのような事態をさけるために、一部の微妙な投票を有効票から除いているのだと思う。

また、誤解しないでほしいが、順位に意味がないと言っているわけではない

ほとんどの投票者が純粋なプレーヤー目線で判断していることに疑いはない。いいゲームが好きだから、ゲームに対してあれこれ談義をするのが好きだから審査してくれているのであって、その結果生まれた順位は間違いなく良き指標になるし、上記のような不安定な要素を抱えながらも上位に入ることは、相当すごいことなのである

 

と、同時に。

順位など、個々のプレイヤーの中に生まれる作品への好悪の感情の前には、さほど問題ではないのだ。

主催のSmokingWOLF氏が第10回結果発表の「総評」で述べたことばを借りるなら、

『「総合順位」 と 「あなたにとって宝物となる作品かどうか」 は別問題!』

である。

それぞれのプレイヤーの中に、どのような評価が残ったかが最も正しい。

すべての作品をプレイした人の評価も正しく、1作品しかプレイしていない人の評価も正しい。

だから、願わくば、プレイヤーの方は気に入った作品があったら、期間中にコメントをしたり、SNS上で発信したり、匿名の掲示板でもいいからこの作品が好きだったと発言したりしてほしい。

この時代なら、きっと作者に届くだろうから。

そしたらその作者さんは、また次の作品を作る気になるかもしれませんぜ。

③ウディコンの最大の意義は「完成させる理由ができること」

 

人は締切や納期がないと動かないものである。

 

特に、だれかから強制されることのない個人制作者の多くは、未完成の海でいつも呆然と浮かんでいるものだ。

実は今の私は、ウディコンの最大最高の意義は

ゲームを完成させる理由ができること

だと思っている。

未完成の海を泳いでいる人に、ウディコンという目的地を与えられるからだ。

それに前述したとおり、

ウディコンならほかのコンテストに出すよりも多くのコメントがつくことが期待できる。作品の審査期間が終われば、フリーゲームダウンローダーへのアップも自由になる。ウディコンの作品ということで注目も集まりやすい。

 

何かの研究結果によれば、渾身の一作を長期間かけて作る人より、短期間でコンスタントに作っている人のほうが、最終的には作品の質も量も上回る傾向にあるそうだ。

 

まあ、あまりにクソゲーをだせばクソゲーというコメントをもらってしまうとは思うけど、それはそれである。

④ウディコンのゲームは投票期間中になるべくプレイしたほうがよい

 

これは、今回気がついた実に大切なことだ。

異論が出る可能性や怒られるのを承知で言うが、

 

順位が出てからやるウディコンのゲームは、

期間中にやったゲームほど面白くない

 

と思った。

 

なぜなら、順位が出たあとのゲームは普通なのだ。

普通にゲームをやっているだけの面白さ。

「あー、このゲームは○○位かあ」という考えが頭のどこかに残っていてしまう。

それを知っていることが、むしろ純粋なゲームの評価や楽しむことを邪魔してくることもある。競馬は順位が出ていないから面白いのであって、ウディコンも順位が出ていない時点でやるから面白い部分がある。

私は幸いにして、

今回総合一位の『未完のエリザ』を審査期間中にプレイできていたので、納得感があった。

だが、残念ながら二位の「コトダマッスル」は結果発表後のプレイである。「コトダマッスル」は非常に気持ちよく面白いゲームであった(私はかなり好きである)が、せっかくなら審査期間中にやりたかったなー、とも感じた。

ウディコン期間中に全作品、または多くの作品をやろうと思う人の気持ちが少しわかったような気がした。

お祭りで食べる焼きそばはおいしい。

そういうことだ。

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さて、次は

【4】ウディコンを通して「ゲームの面白さとはなにか」を考察する

をしていきたい。

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